しゃちほこファイナンス

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深田祐介『炎熱商人』~商社が舞台の、ビジネスとロマンスが時間・国境を飛び越える話~

商社を舞台にした小説は「空の城」や「不毛地帯」とかが有名だけど、意外と知られていない、けど、とっても驚きな作品にであってしまった。それが深田祐介炎熱商人』。

炎熱商人(上)

炎熱商人(上)

 

 

 

かねてより存在は認知していて、数多の中古本屋さんを捜索してきたんだけど全然ない!(もう5年近く!)なかば諦めていたこのタイミングで、たまたまipadを手に入れて、たまたまクールに電子書籍でも読んじゃおっかな(ふふん)、なんて思い立ったんだよね。それでどんな本が読めるのかなぁ、なんて何の気なしにstoreをチロチロみていたら、あっけなく並んでいました『炎熱商人』。
そんなこんなで5年ごしの熱い思いを胸にぐっと押し込めながら、ついにこの本を読み進めることができたのでした。

どんな話?

鴻田貿易という総合商社がフィリピンから木材を日本に輸入します、っていうのがメインのストーリー。時代は戦後の復興期で、建材需要が高まっているなか、建材取り扱いでは後発組となっていた鴻田貿易。マニラ支店長の小寺とナショナルスタッフのフランクを中心に、日本の需要家とフィリピンの生産者の間を取り持って、どうにかビジネス創造したいってんで、試行錯誤を重ねていきます。

ビジネスとロマンスが、時間・国境を飛び越えてた!

やっぱり商社を舞台にしているだけあって、日本とフィリピンの間での臨場感がパナイ。日本側の無茶な要求に何とか応えるべく、現地で根回しや説得にあれやこれやと奮闘している小寺やフランクの姿は、「あ、これが商社マンなんや・・」と思わされました。


フィリピンの木材を刈り取る土地を所有しているのが、これでもかってくらいにやくざみたいな怖い人たちばっかりなんだけど、そんな彼らと相対して、なんならピストル突きつけられても微笑しているなんて気がどうかしてるわ、って思っちゃう。けどなんだかんだ、信頼関係を築いてく。「なにこれ、カッコいい・・(じゅわ)」

 

プラス、需要家である日本の合板メーカーから、マニラ支店に出向というかたちできている若手のナイスガイ(慶応卒、下町っこ)が、現地の、これも超が付くほどのお嬢ちゃん(西洋の血がながれとるらしく、白いお肌のすらり美女)とあんなことやこんなことをするんだ。これもなんか、すっごい興奮しちゃう。


日本人にとっては、「えぇ・・そんな求愛ありますかぁ~?」てな具合のことも平気でしちゃうお嬢ちゃんなんだけど、それを下町ナイスガイが受け止めて、不器用なんだけど着実に積み上げていく二人のロマンスには、ついつい応援したくなっちゃう。これが国際恋愛かぁ、と太平洋(のほう)にこっそりつぶやいたのは秘密。

 

さて、本の中では、鴻田貿易がビジネス創造にむけて四苦八苦している「今」と、大戦末期で日本軍が満身創痍となっている「過去」、この二つの時間軸がありまんねん。このふたつの時間軸をつないでいるのがナショナルスタッフのフランクで、道先案内人さながら時点の違う世界を繋ぎとめている。

 

フランクなにものやねん、ってなると思うんだけど、只者じゃなくて、日本名:佐藤浩っていうて、お母さんが日本人のハーフで、日本語英語タガログ語が行けちゃうトリリンガル。戦時中は日本軍の通訳として大活躍で、戦後は鴻田貿易で超絶キーマンとして、新しい木材ビジネスを始めるってときにもあの手この手を尽くして窮地を救ってくれるやつ。

 

逸れたけど、この小説の不思議なところは、違う時間軸なのに、シチュエーションも全く違うのに、フランクが見る二つの世界は、どこか、いやでもほとんど完全に重なり合っているってこと。


(例えば、支店長の小寺は、彼の正義をもってビジネスを進めようとするんだけどこれがたまに歯が浮くようなあまあまの現実離れしているものだったりするわけ。一方で、戦時中は同じような馬場大尉っていう人がいて、これも戦時中にあるまじき現実離れした理想論を貫いていく。いずれも間違っていないし、正義を貫く姿は男としての憧れを感じさせる、フランクはそんな二人を大好きであったし、重ね合わせてた。)


回想を深めるフランクのなかで二つの時間軸がだんだんとシンクロしていくんだけど、それは必ずしも良いものばかりじゃなくって、どちらかというと過去と同じ結論になっちゃうんじゃないのってことを、読者になんだか先読みさせてきて、これが終始ドキドキしちゃう要因になっていたと思う。(やられた)

いずれにしても、ビジネスとロマンスは、国境はもちろんのこと、時空も超えてきちゃうんだ。

 

読了後の虚脱感ともやもや

とっても読み応えがあったし、なにせ5年越しの想いがのっていたから、それを裏切られなかった内容であったことは確かなのだけど、それ以上に、なんともいえぬ虚脱感ともやもやに襲われました。


答えの一つは、なんとも救われぬ切ないエンディングによるものなのだと思うけど、それとは別に、深田の親分から投げかけれてる問題意識が、この発生源なんだと思う。それってのが、「日本は先の戦争を大きな反省として、今、立派に立ち直ったのだけど、本当に“反省”してるのか。本質的に何かが変わったのか。」だと思う。(小説のなかでも強烈に考えさせられる一説があったから引用しておく。)


戦後75年が経って、日常生活において「戦争なんてあったんだ、へー。」くらいにしか思わないのが実態だと思うんだけど、そんな平和ボケしてていいのかな、そんな気持ちになったのでした。そんなもやもやを超越すべく、「白人 美女 ビデオ」で検索をかけたのはここだけの秘密として感想を締めくくりたい。

 

これは敵に拠る、という旧陸軍の兵站の発想とどこか似かよってはいはしないか。糧は全線で全線の責任において調達せよ、しかし勝たねばならぬ、という発想と、資金は現地で、現地の責任において調達せよ、しかし儲からねばならぬ、という発想といったいどこが違うのか。

 

以 上