しゃちほこファイナンス

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文化が戦略を食う|『WORK RULES!』

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文化が戦略を食う|『WORK RULES!』


社畜の歴を着々と重ね、この4月で早くも7年目を迎えようとしています。いわゆる日系企業に勤めるなかで、良くも悪くも伝統的な会社の側面を多く目の当たりにしてきました。たとえば、年功序列、意思決定にかかる労力(いわゆる社内稟議)、社内政治、紙文化、そして現場の作業感。これらが機能してきて今日の僕たちがある、このことは否定しません。ただ、一種の閉そく感を感じるこれらの項目に対して、これからの未来、変化が激しいVUCAだなんて言われる世界で、果たして継続的存続が図れるのか。ここに対して一抹の不安を感じざるを得ないのです。

 

企業文化を確立する」これは僕が3年くらい前から思っている、この一抹の不安を払拭できるのではないか、と期待している方法です。

 

先に挙げた項目の悪しき側面は、意思決定の遅さ、これは職務権限が下におりていないこと、に起因するものと思います。何かしらの意思決定をするには定型的な手続きを必ず経なければならない。たとえば役職者や社内会議体での決議です。ですから、何かを推し進めたいと思うとき、これら手続きを円滑に進めるための政治的根回しが有効な手段となるわけです。また、結局現場における決定権・裁量というのは限定的であり、意見具申したところで突き放された経験をした人も多いかもしれないですが、結局できないのなら考えない、その結果としての「作業化」が進んでしまうと考えます。ときに「作業化」は効率化の意味で用いられることもあるかもしれませんが、ここでの意味合いは悪い側面、業務の本質を捉えるであったり、改善・改良に対するモチベーションがない、無感情の手続きを捉えて使っています。

 

このような悪しき側面は、つまるところ、人間的感情でとても理解はできるのですが、例えば、「新人にすべての情報・権限を与えるのは危険である。なぜなら、経験の絶対値が私よりもずっと少ないのだから。」という考えが根底にあると思うのです。だから、一定のプロセスを経ることにより、この危険性に対するヘッジをしていると。だけど、これは「経験が少ない=できない」という絶対的前提があり、これを疑おうとしないことにひとつの問題があると思うのです。そして、本当の問題とは、「できない」ではなく「方向性」にあると僕は考えるのです。

これを例えるなら、「空腹感を満たす手段」として「食材を購入して料理をする」「お金を払って食事を提供してもらう」「他のことをして紛らわす」ここら辺がぱっと浮かぶかと思います。ただ、他にも「ただ食い」「盗み食い」といった選択肢がないわけでもありません。しかしこれらが浮かばないのはここに人間的倫理観や道徳があるからです。

これは極端な例ですが、企業活動においても同様の暗黙知の「倫理や道徳」があると思います。そして、言葉にはせずとも、これに反することが危険であり、これは経験でしか裏打ちされない、このように思っているのではにでしょうか。だから、今の体制で補完しているのだ、と。

 

僕は、「企業文化」がこの前提を崩すと考えています。文化とは「共通のマインド・目指すべきところ」で、これを明確にすることが、業務遂行におけるボラティリティを少なくすると考えるのです。これすなわち、上で触れた”危険”をミニマイズすることになりますから、結果、権限の棚卸しも遂行されると思っています。

ときたま、「宗教的である」と批判的立場をとる人がいますが、僕はこれは違うと思います。宗教的と捉える人の多くは、すべての人が一種の共通的異端思考に支配されているカルト的宗派を念頭に置いていると思います。しかし、僕が考える「企業文化」は決して個人の思考を「支配しない」状態にあります。ですからカルトとは違う。あくまで企業体としての目指すべき方向感を示す、そしてそれがすべての階層で共通認識として存在している状態です。企業文化、その企業体としての倫理・道徳はゴールしか指し示しませんから、時にそのやり方でもめることはあるかもしれません。ただ、それはプロセスの「改善」の過程としては健全であり、そもそも全否定から入る現状よりかは前向きであると僕は考えています。そして、この回転を回すことがこれからの世界においてはとても有効かつ不可欠ではないかと、そのように思うのです。

企業文化、そんなのどこでもあるでしょう」、このような批判も上がってくるだろうと思います。会社の社是や企業理念、といった形式で掲げている、と。僕の問題意識は、それはあくまで掲げているだけであって、社内浸透していない、というところにあります。常日頃より思考の根底をなす存在でなければ、それはただの”お化粧に過ぎない”と思うのです。

 

以上より、冒頭の「閉そく感の払拭」に対しては企業文化の確立、権限の移行、情報の共有により解決が図れると僕は信じています。これらはひとつをとって部分最適を図っても意味がない、3つが同時になされて初めて効果が出てくるものだと思います。僕もいつか、これら改変をなせる立場になったなら 、強い意志と信念をもって断行したい、そのように思っているのですが、きっとそれを成すためには、社内的な根回しと稟議が必要なんだろうな...。

最後に、Googleの人事制度に関しての著書『WORK RULES!』の一文を引用して終わりにしたいと思います。

”高い透明性の利点は、何が起きているかを全社員が知っていることだ。これは些細なことに思えるかもしれないが、そうではない。大きな組織は、無駄な仕事をするグループを知らず知らずのうちに抱え、資源を浪費していることが多い。情報を共有していれば、さまざまなグループの目的の違いを全社員が理解できるので、社内の対立が避けられる。このアプローチに逆行するのは、社内の対立をあおり、各チームにかかわる情報を見えにくくする会社だ。”