しゃちほこファイナンス

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本当の謙虚とは|自分の弱さと向き合うこと。

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 あなたは素晴らしい人格を持ち合わせていますか?この問いにたいしてどう答えるでしょうか。世の中には様々な人生哲学が存在します。そこではしばしば、この問いに対する答えとして「謙虚であること」が挙げられています。ここに対して違和感を持つ人は少ないのではないでしょうか。人としての成長を語るうえでも「謙虚」というワードはよく聞かれます。つまり、人としての人格・成長を築き上げるうえで、この性質はとても大切なもののようです。
 では、「謙虚である」とは一体どのような姿でしょうか。そもそも日本人は「謙虚」な民族と言われることが多いように思います。これは「謙遜」という言葉に代表されるように、一歩ひいて遠慮する、我を押し付けない、調和、こうしたイメージからかと思います。そしてどこか、自信のなさをうかがうような、そんな感じを「謙虚」という言葉は持っているように思います。しかし、この姿は本来の「謙虚」からはかけ離れているとここに強く言いたいのです。
 そもそも「謙虚」とは、それを構成する二つにはそれぞれ「へりくだる」「何もない姿」との意味があるように、「自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持ちがあること」ということを指す言葉になります。空の器に抵抗なく水が注がれるような姿、ないしは、ぎゅっと握ったスポンジを水に浸す姿がイメージされますね。つまりは、自らの先入観にとらわれず、何事も受け入れる姿にその言葉の真意があるのだと思います。この観点からは、必要以上に自らを卑下するような姿は、謙虚ではない、ただ単に哀れでしかない、そういうように感じます。自身の日ごろの行いを振り返ってどうですか?ハッとする人は一定数いるのではないかと推測します。
 そして、もう一方からの解釈はどうでしょうか。身の回りに部下・後輩の言葉に耳を貸さない上司・先輩はいませんか。失敗に対してけして自省せず、自分以外に原因を追及している人はいませんか。人の言葉に耳を傾けることは正直怖い。なぜなら自分が否定される可能性をはらむから。ましてやそこに少なからずの上下関係が存在し、その言葉が一般に下であるとされる人間からのものであった場合、その気持ちはことさら強くなるでしょう。なぜなら自身の立場(たとえそれが年次という空虚なものに基づくものでも)が脅かされるから。これを恐れる気持ちはわからなくもありません。しかし私は、そんな人にこそ「謙虚であれ」と伝えたい。自身のちっぽけな誇りを守ること、それと引き換えに、成長機会、部下の信頼、それ以外にも多くを失っていることを伝えたいのです。
 「謙虚」であることは自分の弱さと向き合うことだと思います。それは時に勇気を要することでもあると思います。しかしそれは、自身をもう一歩先に進めてくれる。見識を拡げることになる。公正・公平な言動が周知を集めることに繋がる。そのように私は信じています。けして自身を卑下せず、一方で過信しない。バランスのとれた真の「謙虚」な姿でありたい。そのように私は思います。