しゃちほこファイナンス

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僕の人生を参考に、もっといい人生に。

タバコ お酒 女遊び。20代に始めて、そして20代のうちに辞めました。

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タバコ お酒 女遊び 20代に始め、そして辞めました。


2014年春、人よりも1年長く延長戦を謳歌した学生生活にようやく区切りをつけて、僕は社会人になりました。今年のように感染症も大流行していませんでしたから、桜咲き誇る駅からの道を、ワクワクともドキドキと、期待と不安が織り交ぜになった気持ちとともに、会社へと向かったことを今でも思い出そうと思えば思い出せます。

そんなウブな僕は、社会人になってから諸先輩たちへのあこがれを入り口に始めたことが3つありました。
  1. タバコ
  2. お酒
  3. 女遊び

タバコは宴席でのパシリで「この千円でラッキーストライクよろしくな?おまえの分もいいぞ!」とご配慮(?)いただいたのがきっかけでした。学生時代は運動部に所属していたこともあり1本も吸わずだったのですが、最初はむせたりクラクラしたりしていました。でも、カッコよくラッキーストライク吸いたいよな・・。続けていると、気づいたら虜になっていました。唐揚げ(もしくは餃子でもよい)とビールとタバコの組み合わせが破滅的。業務中も眠気やどうにも集中できないときに喫煙所に行く。そうすると不思議と気持ちをリセットできるのでした。その後、ストレスを感じるようになって以降はストレス値に相関する形で、本数を加速度的に増やしていくのでした。

お酒も日常的に取り込むようになりました。しかも夜遅くまで。学生時代はオフシーズンの時にしか飲みませんでした。普段はもうお酒とプラトニックな関係でありまして、本当に儀式的な飲酒のみ。新歓と引退飲み、それと合コン。年間両手で数えるくらいの日数しか飲んでいなかったと思います。おそらく社会人1年目の1カ月で学生時代の飲酒量を超えたと思う。自身の労働の対価として得たお金、という感覚がマヒさせていた部分もあり、また、社会人としてのキラキラした生活へのあこがれも強くあったと思います。『華金』というワードに何か特殊なインスピレーションを感じ、何かと理由をつけて飲みにいき、カラオケ、キャバクラ、クラブ、タクシー帰りみたいな感じで。体はだるくてもそこに何か心地よさすら感じていました。こうして、飲酒量も日に日に増えていくのでした。

女遊びは「大人の男のたしなみだ」という感じから、社会人になってから達者な先輩同期に遊び方を教わりつつ、どっぷりはまっていきました。夜の飲みに行く場所は、銀座コリドー街六本木クラブ恵比寿横丁が定番コース。遊びに来ている女の子に不慣れながらも声をかけ、ワンナイトを狙ったものでした。玄人遊びはキャバクラで、刺激が欲しけりゃおっぱぶ、ソープみたいな感じ。Tinder、Pairsといったマッチングアプリに課金して、週末に昼から遊べる(ヤレる)人を探していた時もありました。総じて欲棒のままに、という感じだったと思います。一種の武勇伝をどれだけ作れるか、語れるかで男としての格が図られている風潮に対して、一矢報いようと、俺はこれだけやってんぜと、張り切っていたところもあるかもしれません。

 

こんな感じで社会人生活、新たな人生の楽しみ・喜びを知りつつ送っていたときに、ふと気づいたことがありました。
あれ、お金がない
女の子には当然のように食事もお酒も全額おごるし、なんなら真摯にお車代もつけちゃうし。嬢には指名をプレゼント。夜遅くまで遊びまわり、タクシー帰りは当たり前。朝が辛いからタクシー出勤も癖になり、当然仕事で頭が回らないからタバコも進む進む。「はあ疲れたぜ、飲みに行くか」で夜の街へ出発です。
こうして螺旋階段を上か下かはわからないですがまわりにまわった結果、借金200万円ができあがっていました。消費者金融には手を出しませんでしたが、リボルビングやキャッシングの類は枠いっぱいに一通りやって、キャッシュフローがまわらないときは、最初はカードで現金錬金術をしていたけど、最後は1~2カ月返済をまってもらうこともありました。もうほとんど首が回らず「じゃあ次、(首)吊るか?保険でるだろ?」と迫られている気になったものでした。

こうなって初めて、僕は「タバコ お酒 女遊び」を辞めようと決めました
そして、そこから2年間、僕はこれらほとんどを断ち切り、借金もつい先日完済しました。2年間。ここで失った時間は小さくないですね。

僕の反省は次の通りです。
  • タバコもお酒もコミュニケーションのツールであり、これ自体を目的にしてはいけなかった。
  • 女遊びで一時的な快楽は満たせても、将来を考えるような相手を見つけることはできなかった
  • 自分の将来に対する計画性に欠け、自身への投資ではなく投機に近いお金の使い方だった

いつからか「タバコを吸うこと」「お酒を飲むこと」なしには生活ができない、そんな錯覚すら覚えるようになっていました。タバコミニケーション、飲みニケーションなんて言葉があるように、本当の価値は人との関係を築くことにあったんだろうな、と今は思います。
女遊びで出会う女の子に対して僕はどこかで「しょうもない女」と思っていました。僕自身がそうであるように、一時的な満足や欲望、楽しさを求めているだけの短絡的な人なんだろうって。だから、どうしてもそこで出会った人との将来を考えることができなかったです。結局、その場だけ。
そして、全て投機的なお金の使い方でした。ポジティブに「遊びを知ることも大切だ、そこで得ることもあるでしょ」と言ってくれる人もいるかもしれませんが、その目的からすればお金を投じ過ぎた、ということだと思います。将来的なプランを描き切れなかった、反省ばかりが残ります。傷つけた人も中にはいました。ごめんなさい。ここにも後悔が残ります。

 

絞りに絞った2年間はお金を使わなくても楽しめることが色々あるんだと気づかされました。セイユで食材を買って料理することも楽しい。だんだん美味しくなっている気がしました。ブックオフで本を漁る、毎回新しい発見があって楽しい。知らない世界の地図が拡げられていく感じがします。飲みの時間が勉強の時間になりました。今更ながら英語をしっかり身に着けたいと思っています。タバコで鼻がバカになっていたみたいで、辞めてから食事がおいしいです。それに、草や花、雨も、そういえばこんな匂いしたなあ、って身の周りを改めて認識できるようになりました。
不思議と、こうしたことのほうが生きている感じがしています。当時は、返済予定と口座残高ばかりを気にして、生きた心地がしなかった。正直。

 

欲しいものを手に入れようとして、大きな借金を抱えました。この借金を返していく中で、また新しい発見がありました。
人生、紆余曲折あるといいますが、「ああ、あれがあったから・・・」と、人生を終える時にこの回り道を一つの語り草にできたらいいな、と思います。
僕が20代で始めて、そして、辞めたこと。それは「タバコ お酒 女遊び」でした。人生は、今のところまだ、続けています。