しゃちほこファイナンス

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僕の人生を参考に、もっといい人生に。

業務効率化を極めるとニートになるかもしれないと思った話。

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がむしゃらに働いた4年間、だったと思っている。それこそ公私の比率でいったら9:1くらいでほとんどを傾けていたし、根っからの性格で不器用だからいくつも並行してできないゆえに、私生活での充実とはかけ離れていた4年間だったと思う。そのなかで目指したことは「できる仕事人間」。その姿は、新人というのも相まって、上司・先輩からの仕事のボールに対して当意即妙に打ち返すことにあると信じてい”た”。だけれども最近、心変わりしてきた。そんな心境を語ってみるってやつ。

 

1 入社から現在に至るまで

 大学卒業して現在の会社に入社した。親の脛をかじりまくり5年生まで過ごしたことはご愛嬌として認識いただきたい。学生時代に学んだことは「経済学」と自信をもっていえるわけではなく、会社ではすべてがゼロスタートだったという状況は多くの諸氏にも共通して言えることかと思う。

 

根っからの負けず嫌いでやるからには「強くなりたい」という気持ちがあった。仕事における「強い」とはすなわち「仕事ができる」。だからガムシャラに頑張ってきた「つもり」ではいる。実務で任されたことはできる限りのアウトプットをしたい。飲み会の幹事を任されたのであれば安く楽しくをモットーに準備からクロージングまで滞りなく取り組みたい。

 

そんな気持ちでやってきたわけではあるが、いかんせん右も左もわからない中で、できないことばかりであった。ノウハウや知識不足によるものばかりなるが、これをカバーすべく「時間的な制限」を外してきたのがこの4年間だったかと思う。定時で終わらなければ終電まで残ればよい。終電を超えてしまうのならタクシーで帰ればよい。明け方になってしまうのなら泊まればよい。平日で足りないのなら休日もでればよい。という具合。

 

その結果、自身のカバーできる業務範囲は拡がっていると感じるまでに至ったが、一方でジレンマに陥るようになった。他部署の定時に帰る社員のほうが幸せにみえる。最近「顔死んでない?」といわれる。同期入社の結婚報告を受ける。はて、「幸せってなんだろうか?」。「業務範囲と幸せの相関性」について妄信的であった自身の考えに疑念を抱くようになった。

 

2 属人的な仕事なんていらない

 幸せの基準軸は各々異なるものという前提にはあるものの、狂信的に「仕事ができること」を追求してきた自身の考えのうち、「仕事ができること」の定義がそもそも誤っていたと気づいた。

 

業務のカバー範囲がただ単純に増えていることに狂ったように喜びを感じ、できうるすべてのことを抱え込み、上司に対して「私の仕事の結果です」と上納する=できるサラリーマンであるという考えは単なる自己満足にすぎない、という気づきが4年目にしてようやく到達した一種のターニングポイントであった。

 

社会人人生において、学びの姿勢を放棄することはその時点で成長を辞めますと高らかに宣言していることと同義であると考える。従い、一定程度のレベルに達するまでは、注力して習得に努め、自身の向上につなげるべきであると思う。

 

一方で、「今」できることをいつまでも抱え込み、その物量に満足している状況も一種の「終了」であると思われる。ひとりの人間に帰属すること(=属人的業務)は、(1)組織としては当人がいなくなった場合の業務遂行能力がリスクとなるし、(2)当人としても限られたキャパシティを抑圧するものであるし、(3)当人以外(主に部下に当たる人間)にとって成長機会のはく奪になってしまうから

 

このことに想いを馳せるようになった今、今までの自己満足的な業務実行を大きく恥じた。

 

3 「仕事がない」の本当の意味

 かかる中、あるべき姿はどこにあるのか、ということを考えると、究極的には「仕事がない」姿かと思う。ここでいう「仕事がない」というのは「自らが手を動かして行うべき業務がない」という状況のことを指す。

 

やはり若手である以上、学ぶ姿勢は継続しなければならないし、その姿勢の強弱が人生の今後を大きく左右するという点は譲れない。したがって、業務についても貪欲に取り込む必要があると思うのだが、その次点で考えるべきは「取り込んだ業務をいかにかみ砕き、コモディティ化して引き継ぐか」ということだと思う。

 

これは先に述べた属人的業務の問題点の解ともなりうると考える。(1)業務のコモディティ化は属人的業務の解消につながる。(2)引継ぎにより新たなキャパシティが生まれる。(3)引継ぎ先ではコモディティ化されているとはいえ、一定程度の理解を深める必要がある。そしてなにより、コモディティ化には当人の当該業務への深い理解が必要という点がポイントになろうかと思われ、そのうえで効率的なあるべき業務体制を整えることは有意義なものになろうかと思う。

 

結論、このサイクルを繰り返していけば、組織内の業務はすべてが体系化され、当人の行うべき業務はすべて引き継ぎか完了しているとすれば、「仕事がない」状況になろう。業務全般に対する理解がないわけではないから、万が一のフォローアップ体制も盤石かと思われる。

 

おわりに

繰り返しとなるが、自己満足に浸っていた自身の取り組み姿勢は、個人にとっても組織にとってもあまり良いことではなく、自身が妄信的に目指していた姿は誤っているかもしれないと、最近思った次第であった。本当の意味で「できる仕事人間」は「仕事がない人」なのかもしれない。NEET は Not in Education, Employment or Training の略だから仕事がない状況≒ニートといっても過言ではないかと思われる。

今年はひとつ、業務に対する取り組み方の見直しを行いたい。そして生まれた余暇を活用し、婚活に励み、「本当の幸せ」を見つける1年にしたい。

 

以  上